21歳の春、僕は秋田市の会社に就職した。そしてすぐに県外の職場にとばされた。男なんだから、外の世界をみてもっと色々学びなさい!という上司の言葉と共にだ。
その転勤先にはその上司も付いてきたが、その職場にはプラスで「どうしても許せない人」がいた。
3つ上の先輩で、名前はTさんといった。会議では人の意見を遮る。ミスがあれば即座に指摘するが、自分のミスには一切触れない。廊下ですれ違っても、目が合わない限り挨拶もしない。
入社して3ヶ月が経った頃、私はもうTさんのことを考えない日がなくなっていた。朝、電車の中でバッグを膝に抱えながら「今日はどんな嫌なことを言われるんだろう」と考える。
夜、布団に入っても「あの一言はどういう意味だったんだろう」と気にしている。Tさん本人は何も知らない。なのに私の1日は、驚くほど多くの時間が、Tさんのために使われていた。
見知らぬ土地に行き、他人に弱さを見せられなかった弱い僕の、愚痴を言う相手は、Sおじさんという、血の繋がっていない何となく気の合ったおじさんだった。※以後、おじさんで
僕の癒しスポットになっていた、近所の居酒屋の常連さんが、そのおじさんだ。
当時70歳くらいだったと思う、一人暮らしをしていて、元々は高校教師で、退職してからもう10年位経っていたと言っていた。口数は少ないが、僕が居酒屋にいくといつも居た。(年齢より若くておじいちゃんも失礼なので、おじさんと呼んでいた)
ある夜、僕はとうとうキレた。Tさんにきつく怒られた日だった。「君は物事の優先順位がわかってない!!」と会議室で一対一で言われた、あの日。
居酒屋に向かい、おじさんはやっぱり居てくれた。僕はビールを注文し一気飲みをして、おじさんに全て話した。
おじさんはしばらく黙って聞いていた。僕が話し終えると、一言だけ言った。
「その人のことを、どれくらい知っとるか」
「え?」
「Tさんっていう人のことを、どれだけ知っとる? 家族は? 何が好きで、何が怖くて、今何に悩んどるか」
知らない、と答えた。当然だった。そんなことを知りたいとも思っていなかった。
「わからん人間のことは、怖くなるか、嫌いになるか、どっちかじゃろ」
おじさんはそう言ってから、「またな」と言って席を立った。
その言葉を聞いてすぐに何かが変わったわけじゃない。翌日もTさんはTさんだったし、僕は僕だった。
でも何日か経って、ふと気になりはじめた。
Tさんは毎朝、誰よりも早く出社している。それは知っていた。知っていたのに、「管理職ぶってるんだろう」と思っていた。Tさんは会議中、メモを取らない。それも知っていた。「偉そうにしてるから」だと思っていた。
本当にそうなのか?
ある朝、少し早めに出社した。Tさんはもういた。デスクの上に、付箋だらけのファイルが積んである。画面には数字の並んだExcel。コーヒーは半分、冷めていた。
「おはようございます」と声をかけると、Tさんは顔を上げて「ああ」とだけ言った。でもその「ああ」の顔が、なんとなく疲れているように見えた。
嫌な人、じゃなくて、疲れた人、に見えた。
人間関係の本は世の中にたくさんある。「距離を置け」「流せばいい」「自分を守れ」。どれも正しいのだと思う。でも僕が気づいたのは、もっと地味なことだった。
嫌いな人は、知らない人だ、ということ。
知らないから、相手の行動に自分で意味をつける。
「あの一言は僕を馬鹿にしたんだ」「挨拶しないのは見下してるからだ」。
その解釈は、ほぼ全部、自分の中で作り出したものだ。相手は何もしていない。私が勝手に台本を書いて、相手に演じさせている。
そしてその台本を、毎晩布団の中で一人で朗読する。
それから私は、少しずつTさんのことを「観察」するようにした。
嫌いな人を「観察する」というのは、あまり気持ちの良い行動ではなかった。好意があるわけでも、仲良くなりたいわけでもない。ただ、「どういう人なんだろう」という純粋な疑問として見る。
わかってきたことがあった。
Tさんは、曖昧な言い方が苦手だった。「なんとなく」「たぶん」「一応」という言葉に、微妙にしかめっ面になる。
ミスを即座に指摘するのは、後で大きな問題になる前に潰したいからだった。それは会議中の発言を注意深く意識してみたら良く分かった。
会議でメモを取らないのは、記憶力がいいからではなく、手を動かすと思考が止まると感じているからだった。あるとき、「私、メモしながら話聞けないタイプで」と後輩に言っているのをたまたま聞いた。(僕は逆にメモをとらないと覚えられないので、頭がいいんだなーと感じた)
嫌な人ではなかった。
几帳面で、完璧主義で、たぶん自分自身にも相当厳しい人、だったのだろう。
「許す」とか「好きになる」とか、そういう話じゃない。
Tさんのことが大好きになったわけでも、すべてを受け入れられるようになったわけでもない。相変わらずきつい物言いは苦手だし、全員の前で指摘されると傷つく。
ただ、「わかった」と思った瞬間から、Tさんは私の頭の中でどんどん小さくなっていった。布団の中で上映していた一人芝居が、静かに終わった。
朝の電車の中で、Tさんのことを考えなくなった。夜、眠れるようになった。
人間関係の悩みは、たいてい「相手がひどい」という話から始まる。でも本当のところは、「相手がわからない」という恐怖から始まっていることが多い。
わからないから、最悪の解釈をする。最悪の解釈をするから、怖くなる。怖いから、避ける。避けるから、ますます分からなくなる。
この輪っかが、ずっと回り続ける。
半年後、おじさんが天国に逝ったと居酒屋の店主から聞いた。
実は、ずっと体調が良くなかったらしく、それでも「愚痴を言ってくる若者がいるから店にはくる!」と通い続けてくれていたとのこと。
いつも、何を飲んでいるか分からないが、コップに透明な飲み物。
焼酎の水割りだろうなと思っていたが、ただの水だったらしい。そんなことも分からず、僕は自分のことだけを考えてひたすらに愚痴を言い続けていた。。。
最後に話したのは、いつもの居酒屋ではなく電話だった。居酒屋で見る事がなくなったので、電話をしてみた。「Tさんのこと、少しわかってきた気がします」と報告した日、おじさんは、
「人間はな、わかりあえんでもいい。でもわからんままにしとくと、ずっと苦しいぞ」
その言葉は、Tさんのことだけじゃなかったと思う。「おじさん、また居酒屋で飲もうね!」そのやり取りが最後だった。
今でも誰かのことが「気にかかる、もやもやする」と感じるとき、私はまず自分に聞く。
その人のことを、どれだけ知っているか、と。
知ろうとしたことが、一度でもあるか、と。
答えが「ない」なら、まだ嫌いになるのは早い。その人は今のところ、私が作り出したキャラクターに過ぎないから。
勇気をもって興味を持ってみよう、ご飯食べに誘ってみよう、酒飲みに行ってみよう。
きっと、その人のことが知れて、目の前が明るくなるから。
人間、自分の心の有り様で見える世界が全然かわってくる。

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